[オノケンブログ前回のあらすじ]
フィリピンはマニラ・マラテのKTVで遊んだあとは好意を寄せるフィリピーナとのアフターがまた醍醐味の一つといえます。時間帯もあり、いける場所は限られますが、テンションが高いことなら間違いなく、ここを選ぶことをお勧めします。
4人のフィリピーナに男一人。アフターで行くのは、やはりあの場所
オノケンブログを最初から(序章)読んで頂けると幸いですm(__)m
私がレンジと出会う前、レンジがどのような経験をフィリピンでしてきたのか、私がマニラに通うようになる以前について書かれていますので、レンジの章を読むことでよりクレマニを奥深くお楽しみいただけると思います。
【レンジブログ1】日本人経営者と私、フィリピンでの入国審査へ
[フィリピンの警察署へ。ドラッグに対するフィリピン警察官の対応とは?]
レンジさんは座ったまま遠くを見つめていた。
そのレンジさんを取り囲むようにレンジさんにお金をねだっているストリートチルドレン達。
私「レンジさん、どうしたんですかこんなところで」
レンジ「おぉ、ケンさん。いやぁ、さすがにディスコとかで踊れるようなテンションじゃないしね。色々ともの思いにふけっていると、いつのまにか時間が経ってしまっていたよ」
私「いや、めちゃくちゃストリートチルドレンに囲まれていましたけど、財布とか携帯は大丈夫ですか?」
レンジ「うん大丈夫よー。しっかり握りしめていたから」
チョモランマ軍団4人と私たちの計6名でホテルの方向に歩き出した。
今日はいつもに増してストリートチルドレンが多く、そしてしつこく付きまとってくる。
私は“しつこいな”と思いながらも無視を続けていた。
そんな中、先頭を歩いていたレンジさんがいきなり振り返り
レンジ「ついてくんじゃねーーーー!!!」(日本語)
と大声を上げた。
よほど機嫌が悪いらしい。こんな鬼の形相をしたレンジさんは日本でも見たことがない。
レンジさんにキレられたストリートチルドレンたちは、八つ当たりの如く私にひっかき傷を残して去って行った。
私たちはとりあえずチョモランマ達に“今日は仕事でお互いに疲れているからここで解散しよう”と提案し、ホテルへと戻った。
帰り途中で購入したつまみとお酒を飲みながら、解散した後のレンジさんの行動について話を始めた。
私「警察行ってきたんですか?」
レンジ「うん、行ってきたよ。俺の身分証明書とかマリーの連絡先、さっきの電話の内容とかを伝えたよ」
私「警察はなんて言っていたんです?」
レンジ「タガログ語だったから何しゃべっていたかわからないんだけど、とりあえずマリーの連絡先に何度も電話をかけているようだったよ」
私「何か進展はあったんですか?」
レンジ「いや、結局マリーとも連絡つかないようだったし、俺もマリーが今どこに住んでいるかってことは、電話でMOAの近くってことくらいしか言ってなかったから、よく知らないのよ。手掛かりがなさ過ぎてね」
私「そうなんですね」
レンジ「で、結局今日のことにはならなさそうだから、進展があれば後日電話するから今日はもう帰っていいよって言われたから警察署からでたけど、さすがに俺もいろいろ考える時間が欲しくて、パンパシの喫煙所でタバコを吸って物思いにふけっていたよ。いつの間にかけっこう時間も経ってたから、ディスコ前まで行ったって感じだね」
私「僕もサオリに行く前に同じ動線たどりました。なんとか早めに連絡つながればいいですね。我々の今回の旅ももう明日で終わりですし」
レンジ「そうだね。明日起きてからも何回か電話かけてみるよ」
次の日、目が覚めてからレンジさんは何度もマリーに電話をしたようだが、変わらず電源は切られたままなのか、コール音さえ鳴らない状態だったそうである。
そして今後、警察からの連絡も一切レンジさんにかかってくることはないのであった。
(ほぼ)最終日の朝。
私もレンジさんも体力的な消耗ももちろんだが、精神的にもかなり疲労がたまっており、お互いに起床したのが12時頃であった。
それから集合してロビンソン内のレストランで昼食をとり、夜までの時間を使ってバクラランとMOAに行くことにした。
さっそくGrabを使い、まずはバクラランに向かう。
今日は1週間もの長い旅の最終日である。楽しまなければいけない、楽しまなければいけないが、やはり悲しい気持ちの方が強い。
自分の不甲斐なさや思い通りに事が運ばない今回の旅で得たものは果たして多かったのだろうか?
ティーは彼女である。
しかし、このたび重なるすれ違いに、私の中で少しずつ“冷め”を感じ始めてしまっていた。
“私のフィリピン初の合体相手にもっとふさわしい子がいるのではないだろうか。他をどんどん探したほうが良いのではないだろうか”
とまで感じ始めていた。
ただ、他に誰かいるわけでもない。
誰かとてつもない輝きを放つフィリピーナさえいればいいのであるが、またふりだしに戻って色んなKTVを巡って一から関係を築いていく気力も出てこない。
ただ、KTV巡りを辞め、美人フィリピーナ探しを諦めてしまうことは、すなわちそれはフィリピンに赴く意味の消滅を意味する。
私の中でどこかフィリピン旅の飽き、終わりが見えてきたような気がしていた。
思えば一瞬で燃え上がった私のフィリピンへの熱はすさまじいものであった。
フィリピンを知ってからの私の人生は大きく変わったことは間違いないだろう。
仕事もプライベートも何をするにも次回のフィリピン旅を思うだけでがんばることができた。こんなに楽しい日々、充実した日々を送ることができるのであれば早くフィリピンという国に出会いたかった。
フィリピン旅のない生活は考えられないほどに、フィリピンという国は私にパワーを与えてくれた。
一瞬で燃え上がる熱というのは、冷める時も早いものである。
私はどちらかといえば熱しやすく冷めやすい人間であるため、その割にはフィリピンへの熱も長く持った方かもしれない。
自分の中でのフィリピン旅のあり方などを見直す必要があると感じ始めたタクシー車内であった。