[ウメブログ 前回のあらすじ]
クレマニのホレ担当ウメ。現在50代後半。約30年前からフィリピンへ通う。序章第一話はその頃の日本のフィリピンパブについて。
後輩をピンパブに連れて行くと、さっそくハマった様子。しかも、「フィリピーナと結婚するから、マニラに一緒に付いてきてください!」と……。
【ウメブログ1】日本のフィリピンパブの過去、マニラへ向かうきっかけ
※クレイジーマニラでは、オノケンブログ、レンジブログ、ポットブログの三つのブログがメインコンテンツでした。そして、この度新たに『ウメブログ』の新連載がスタートしました。
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【オノケンブログ1】転落と後悔
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【レンジブログ1】日本人経営者と私、フィリピンでの入国審査へ
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【ポットブログ1】タイで起業!先輩の誘い、女を求めてフィリピンへ!
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【ウメブログ1】日本のフィリピンパブの過去、マニラへ向かうきっかけ
それでは、ウメブログ序章第二話をスタートさせていただきます。
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【ウメブログ2】初めてのフィリピン旅行、フィリピーナの家族に会う
ーー後輩の安川から、
「フィリピーナと結婚する。心細いのでマニラに同行してほしい」
とのお願い。
それを快諾した私は、彼とともにフィリピンに行く事になった。
フライトは成田空港から。
フライトスケジュールは現在と同じ午前9時台に成田発、現地時間午後2時頃にマニラ着だった。
マニラ空港の到着は第1ターミナルで、当時はそれだけしかなかった(現在は第1~第4まである)。
ーー飛行機を降りると ムンっとする熱気と独特のにおい。
肌寒かった機内とは違い、一気に汗が滲んでくる。
【到着ロビーから入国審査に向かう途中】
その雰囲気は独特で、『マニラに着いたんだ』と今でも感じる。
ーー入国審査に向かう順路を進んでいると、後ろから突然、
「梅ちん!」
と声を掛けられた。
「何やってんだよこんな所で!?」
「はっ、はあっ!? お前の方こそ、何やってんだよ!」
お互いに笑う。
声を掛けて来たのは、以前勤務していた会社の同僚2名。
実は、安川もその会社にいたので当然知り合いだ。
東京では意外と近くに住んでいて、それでも全然会わないのに……。
「まさか、こんな所で会うかよっ!」と4人で笑い合う。
彼の話を聞くと、「フィリピンパブの彼女がフィリピンに帰ったから会いに来た」とのこと。
こちらは、「安川がフィリピーナと結婚するから同伴として」と説明する。
お互いに似たような動機だった。
雑談しながら、出口に向かう。
ーー当時の空港構内の出口付近について。
最終出口になる自動ドアの前あたりに、プラカードを持ったホテルスタッフや送迎の人々がたくさんいた。
[マニラ空港のイメージ(写真は2020年、第三ターミナル出口のもの)]
自動ドアを出ると、タクシーの乗り場あたりから、さらに横へずっと鉄の柵が有り、その外側にも多くの迎えの人々。
ーーそして、私たちより先に元同僚たちの彼女が声を掛けて来た。
……かなりハイスペックな美女たち、マガンダ(タガログ語で美しいの意味)。
ここで元同僚とは別れ、この旅行中に宿泊先のホテルで飲む約束をした。
ーー柵を出ると、タクシーの客引きが一気に集まって来る。
そして、客引きの一人が「あなた名前何?」と日本語で聞いてきた。
安川が名前を伝えると、客引きは「あっちに居たね、その人」と言う。
雰囲気からして、おそらく嘘である。怪しい。
しかし安川は人を疑わない。
その客引きに「ありがとう」と言って500ペソを渡そうとした。
それを見て私は安川に、「金をしまえっ!」と大きな声で怒鳴った。
案の定、あっと言う間に客引きたちに囲まれて、お金を取られそうになる。
危なっ、ここからすぐに離れなければ。
私は彼の手を引き、その場から距離を取った。
私たちは初めてのフィリピンなのだから、空港と言えども細心の注意を払って行動する必要がある。
彼は本当に能天気な男で、危機管理など何もない。
[マニラ空港の送迎エリアイメージ(写真は2020年、第三ターミナルのもの)]
ーーその時、私たちを見つけたランが逆方向から声を掛けてきた。
嬉しそうに近づいてくる。
しかし、彼女の表情は一変し、安川をこっぴどく怒り始めた。「気を付けなさい」と。
どうやら先ほどの光景を遠くから一部始終見ていたらしい。
ーーランは、彼女の父親と兄弟とで迎えに来てくれていた。一緒に車に向かう。
彼女たちは「これが安いからチャーターした」とジプニーで来ていた。
見るのも乗るのも初めて。
異国に来た高揚感と非日常感。
爆音を響かせながら走るジプニーに、開放感など相まって楽しんでいた。
しかし、30分も走ると乗り心地は極めて悪い。
ケツが、おケツがめちゃくちゃ痛いのである。
サスペンションはゼロ。シートのクッション性もゼロ。
渋滞と悪路も手伝い、すごく疲れてくる。
ーーランの家はカビテの東の端の方、ロザリオと言う場所。
ジプニーで1時間位揺られて到着した。
降りるとさっそくランのファミリーから熱烈歓迎を受けた。
事前にランが家を借りてあったようで、コンクリート造の2LDKの間取り。
全室クーラー付きで日本人でも普通に暮らせる小綺麗な家、家賃は月2万円ほどと言う。
[フィリピンの家族イメージ]
一息ついた頃。
私は「これからマニラに戻り、ホテルに泊まり、結婚パーティーの日にまた来る」と伝えた。
すると、ランは「駄目だ」と言う。
彼女は、「初めてのフィリピンで、一人でタクシーに乗り、一人でマニラで遊ぶのはとても危険だ」と。
私は「日本の友人たちが居るので大丈夫だ」と言った。
しかし、彼女があまりにも真剣に駄目だと言うので、今回はマニラで遊ぶのを諦める事にした。
ーー翌日、安川とランは婚姻届けを提出する為にシティホールに向かった。
フィリピンはカトリック。
婚姻届を出すと、ランと安川が結婚をする張り紙がシティホールに貼られる。
『この結婚に異議や反対の者がいれば10日以内に申し出よ』のような感じだ。
申し立てが無いと晴れて結婚が認められ、申請後2週間程度で結婚の証明書が発行される。
その後、婚姻証明・戸籍抄本・ランの出生証明等等をマニラの日本大使館に提出して、結婚ビザを申請する。
この頃は、まだ偽装結婚など無く、結婚ピザもすんなり取得できた。
ーーただ、この頃より俗に言う『ジャパユキさんのオーバースティやランナウェイ』が凄く増え、タレントビザの取得が段々難しくなっていく。
初めて付き合った彼女も、初来日で半年働いて、フィリピンに帰り一月後に来日すると店側は公表していた。
しかし、実際は、店側がオーバースティを指示、ひと月アパートで待機させ、何食わぬ顔で店に出してた。
ーー以前、こんな事があった。
広島でアジア陸上の大会が開かれ、それに参加したフィリピンの代表団が全員逃げたとニュースでやっていた。
私は、当時付き合っていたフィリピーナとこのニュースを見ていた。彼女は「恥ずかしいね」と言っていたが、彼らにとって日本は夢の国で、国の代表選手よりも『逃げてお金を稼ぐ事を選ぶ方』が良かったのだ。
ーーそれにしても、安川。
彼の胃袋は鋼である。
現地の水道水を普通に飲んでも、下痢一つしない。
[鋼の胃袋の安川]
この日の夜は、親族を集めての結婚パーティー。
家の前の道路にテーブルを出し、そこへ30人位の人が集まると言う。
ーー夕刻が近づくと、料理がぽつりぽつと運ばれて来て、その中に40cmはあろうかという大きなテラピアがテーブルに乗った。
瞬間、安川が食いつく。
そして、ものの10分もいないうちに1匹完食。
それを見たランがすごい剣幕で怒っていた。
みんなで食べる料理を安川一人で食べてしまったからである。
その巨大な魚をあっという間に食べた事も凄いが、現地の川魚を躊躇せず食べる事が凄いと思った。
私は食中毒とか赤痢とかそっちを考えてしまうが、彼は何も考えず食べる、そして当たらない。
またその後のエピソードだが、彼らの結婚後。
昼食は毎日手持ち弁当であったようで、おかずがいつも同じ。でもそれに対して安川は文句ひとつ言わない。
その無頓着ぶりと何も気にしない神経が、フィリピーナと暮らす秘訣だなと教えられた。
ちなみに、その弁当は今でも伝説になっている。
アルマイトのドカベン箱にぎゅうぎゅう詰めのご飯、大きいおかずをセパレートして入れる。そして、弁当用タッバにこれまた一面ぎゅうぎゅう詰めの焼きそば。
私の知る限り、会社を辞めるまで毎日食べていたらしい。
ーーさて、私の初フィリピン。滞在は1週間。
特にやる事もなく、近くに移動カーニバルが来たというのでランの姪っ子たちを連れて行ってみた。
ここで私は、衝撃の乗り物に遭遇した。
『ブランコ式メリーゴーランド』
生涯で一番怖かった乗り物である。
現地で組み立てられたその乗り物は、真ん中に15cm位の鉄の柱、その天辺に円い円盤が載り、そこの端から鎖でブランコがぶら下がっている。
そして真ん中の柱の下に大きな重りの様なものが有り、その穴に真ん中の柱が刺さっている。
さらに柱の下部に直径1m位の円盤が付いていて、その円盤を車のエンジンをむき出しにした台に固定し、直接付けたタイヤを押し当てて回転させるのである。
回転の速さはアクセルによるエンジン回転と連動する原始的なもの。
これに姪っ子たちが「乗りたい」と言う。
私は『乗りたくねぇ』と思ったが、仕方なく一緒に乗る事になる。
始めは、ゆっくり回り出して、3~4回転もすると真ん中の柱が右に左しなりながら揺れる。
ブランコを固定しているボルトはギシギシと軋み、滑らかに回転する事などゼロ。
常に、『ギシギシガタガタユラユラ』と不吉な音を立てている。
徐々に加速していく回転。
早々に気付いた……
[初フィリピン、ブランコで死にかける日本人]
いつブランコごと飛んでいくか。
はたまた柱が倒れて倒壊するか、何が何だか判らない恐怖との闘いだった。
これほど怖い乗り物とは。
風雲たけし城の罰ゲームでも、その危険性のため取り扱わない代物だろう。
私は初フィリピンにて、謎の拷問機で命を落とすかと思った。
乗り終わった後、地面に降りると膝が震えていた。
あまりの恐怖に30年くらい歳を取ったような足取りだった。
20代にして、白髪が一気に増えたと思う。
ーーそして、1週間の滞在を終えて、一足先に私だけ日本へ帰るのであった。
[ウメブログ序章終わり]
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次話、ウメブログ第一章「再び、フィリピンへ。マニラ、なんだこの国は!!」
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初フィリピンで初っ端からジープニーですかヾ(≧▽≦)ノ
初めてフィリピンに行った時、あれ乗ってみたいと言ったら当時の上司に俺がいない時にしろとピシャっと言われた記憶があります😆確かに長時間乗るには劣悪ですよねw
後輩殿の結婚相手の女性にあそこまで一人で出歩くのを否定されるのは最初のエンカウンターがヤバイと思わせたのかもしれないですね。ピーナの優しいところかもしれません。
回転空中ブランコは絶対嫌ですね( ̄▽ ̄;)いつ頃だったか、確か、あれで事故があったような気がします。チェーンが切れてバランス崩して円盤も落ちて地面に叩きつけられて・・・コワイ!
ご無事で何よりです。
それにしても最初はずいぶん大人しい感じですね←レンジさんやポットさんの記事に毒されてます!w
これからが楽しみですね~(^^♪
Ackieさん
いつもありがとうございます。
同じような経験をなされているみたいですね。
今、昔の話を書かせてもらっていますがこれが現代に戻る頃には中々の
貢ぎっぷりを発揮していきますので笑ってやってください。
これからもよろしくお願いします。
02年に初めてターミナル1のスロープを降りた所から柵の外のウエーティングエリアを見た風景を未だに忘れる事は出来ません。
おびただしい人の目があり、まるで動物園の動物になった気分でした。
おまけに後ろから降りてくる多くの日本人は、日本製電化製品やシーフードヌードル等の段ボールを大量にカートに積んでるし、とんでもない国に来てしまったと思ったものです。
すぐに慣れましたけど。
Ninaさん
いつもありがとうございます。
出たところのあの人の目、凄いですよねw
02年頃は左曲がりに下っていくスロープの先に既にウェーティングが移っていたんですね。
話の頃はまだウェーティグエリアが空港の建物を出たらすぐにありました。(今のエアポートタクシー乗り場あたりから)なので、自動ドアが開いた瞬間に全員の目が集まるのですごく異様な雰囲気はありましたね。
カップヌードルはいまだにアリアリですね。
余談ですが、チームあわよくばのリサーチでKTV嬢にカップヌードルの味の調査ランキングはカレーが一番らしいです。
時代で変わるものなのですかね?
良いものを書いていきますので、これからもよろしくお願いします。
初めまして ウメさん
フィリピンパブ全盛期は自分もハマりました
ロザリオ…うちの嫁の実家です(笑)
けっこう治安が悪い所で、ドラッグ常習犯が多いからフィリピンあるあるで行方不明者がちらほらと…
ジョリビーさん
コメントありがとうございます。
全盛期にハマりましたかw だとすると少し先輩か同年代ですね^^
ロザリオつながりで以外と安川の嫁のランとつながりが合ったりとかw
確かに治安は悪いんだけど、道端で犬をつまみに一緒に酒を呑むと結構陽気で良い奴が多いんですよね。
話の中のランの姪っ子も今は34歳になって子供も3人いますw
早いものです。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
ウメさんこんばんは。ロザリオはカビテの西ですね! マニラ湾に面してるので。ブランコ恐ろしいですね~。万が一事故って怪我人が出てもアンラッキーで済まそうとしますからw
当時のKTVの様子や今と比べた物価の差なども記事に盛り込んで頂きたいです。未知の世界なので。
執筆頑張ってください!
ウンウンさん
コメントありがとうございます。
そうですね、ロザリオはカビテの南西ですね。
エアポートから左方面に向かうので東と思い込んでいました。
ご指摘ありがとうございます。
当時はまだKTVが無かったのですが、それに代わる遊びは有ったので今後その辺の話も紹介させてもらいます。
応援ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
ウメさんこんばんわ
前はターミナル1しかなかったんですね。
自分も去年フィリピンにて観覧車に乗りかなり怖かったです。
若い頃なら怖くなかったのに、、、アカンやつありますよね!
ジプニーも乗ったことがないです。
toshidesuさん
こんばんわ。 連日のコメントありがとうございます。
乗りましたかw観覧車。
フィリピンの乗り物は怖いの元が違うんですよね。
絶叫系で無くて自分の命を懸けている系なのですごく怖いです。
これいつ最後のメンテナンスをしたんだろーーー???
みたいな乗り物も多いし。
ジプニーは乗り方が簡単なので機会が有ればトライしてみてください。
私は今でも近場移動はジプニーを使っています。
遅い時間に酔っぱらって乗って風に吹かれながらの移動も気持ちいいものです。
これからもよろしくお願いします。
私も初渡比はJALで第1ターミナルでした。
マニラに着いたときの熱気と甘いというか微妙にクサい臭い(笑)で
「ああ、フィリピンに着いたな」と実感しますね。
迎えの人たちの顔つきというか、視線が強烈でした。
取って食われるか・・・位の勢いがありました。
Umeさんとしては比較的おとなしめの初渡比だったようですが
いよいよこれから本格的にホレ展開になるんでしょうか。
楽しみにしています。
G1Rさん
いつもありがとうございます。
フィリピンには独特の匂いが有りますよねw
本当はもっと早くフィリピンに行きたかったのですが、最初に付き合ったフィリピーナがオーバースティをしてフィリピンに帰らなかったため行く機会を伺っていた が本当の話です。
やはり当時からフィリピーナはジェラシーは凄く、彼女が日本に居るのに私だけフィリピンに行く=パロパロ決定なので行けなかったんです。
明日からの展開はソロでフィリピン入りして当時の遊びを満喫していきます。
これからもお付き合いください。
よろしくお願いいたします。
こんばんは
今はレンジさんのラジオ聞きながらウメさんの会話を聞いてます。
とても不思議な感じです。。。
腹が強い方は世界中安心ですね。。。
恐ろしいブランコは笑えます。
鳩麦茶さん、お世話になっております!
先ほどはラジオに参加頂き、ありがとうございました!
いつもありがとうございます!
私も思いました。おそらくウメさん、怖いもの知らずですね笑
唯一、あの身の安全が確保されていない遊具だけは怖かったみたいです笑
今後ともよろしくお願いします!
鳩麦茶さん
いつもありがとうございます。
先程 Twitterでその放送を自分でも聞いていました。
声がバカでかいですねww
客観的に聞かないとその辺も分からなかったので、次回以降はトーンを下げて参加させていただきます。
今後ゲスい話になっていきますが、またお付き合いください。
昔のターミナル1は酷かったですね。名古屋からは日本航空、ノースウエストが直行便、タレントが来るときはキャセイパシフィック航空が当たり前でしたね。20年前は柵の中も危険でした。ついたばかりの日本人が鞄を盗まれ警備員が追うも逃げられると言う…グルなんでしょうけど。最悪だったのは刺青絡みのたかりが酷くなった時かな。事務所の裏に連れていき、全裸にしての刺青チェックを行いながら、チャンスがあれば麻薬を仕込んで有り金を請求する。今は使う事も無くなったターミナル1…悪い思いでしかない(^^)
Manilaさん
コメントありがとうございます。
そうですね当時の空港職員は最悪でしたね。
イミグレさえも無言でお金をせびっているようなところも有りましたし。
今ではベルトコンベアで流れてきた後は最終で荷物検査見たいな所はフリーパスですが、当時は荷物をあけては因縁をつけられたものです。
あとヤ〇ザの入国がすごく厳しくなった時も有りました。
この辺の話も今後書きますので楽しみにしてください。
今後もよろしくお願いします。
ウメさん、おはようございます。
初めてコメントをさせていただきます。
私も32年前、初フィリピンのターミナル1を思い出しました。
私の場合は出口過ぎた所で、勝手にレイを首にかけられ、お金を要求されました。
鮮明な思い出です。
この後の展開、期待してます。
特に、昔のマビニストリートのくだりがあると嬉しいです。
ターシャさん
初コメントありがとうございます。
当時を知っている方がアルアルって笑える話を提供していけたらと思っています。
あの頃は深夜のタクシーってあまりいなかったのでエルミタ中心で遊んでいた私はハリソンプラザ近辺のマビニSTの辺りはそれほど詳しくはないのですが多少あの近辺の話も今後出てきますので笑ってもらえると嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
おもしろい!うまい!初めてこのようなブログを読んで笑えた🤣空港でプラカードに名前を持って迎えに来てくれる光景が目に浮かんでくる。私は、最近でしたがダンボールの紙にマジックで名前かかれてました。家族に招待されでお客だけが先に料理をいただいたのも懐かしく思い出してます。ウメさんのブログは、その景色が浮かんでくる。じつにおもしろい。
小虎さん
コメントありがとうございます。
今後の展開でソロでマニラ遊びにはまっていくのですが、色々ドタバタありエロありで書いていきますので、今後もよろしくお願いします。
同年代です。
当時はキャバクラにハマっていて、ピーナ関係は知らないので、楽しく読んでいます。
その後は、韓国パブ、タイパブ、そして今はピンパプですが、竹ノ塚はクラスター発生するし、本国には行けないし、つらいです。
竹ノ塚では感染者の性別、年齢も発表されていますが、その一つ一つにドラマを感じて切なくなります。
うみこいさん
コメントありがとうございます。
竹ノ塚いいですね^^
生まれが西新井なので竹ノ塚のPパブもずいぶん行きました。
私もフィリピンに行けない儚さもあって今回crazyMnilaでブログを書くことになったのですが、当時のフィリピンを記憶を思い出しながら書いています。
読者の皆さんがそうですが今のフィリピンと比べながら又当時のフィリピンを思い出しながら読んでいただけたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。