[前回のあらすじ]
フィリピーナ彼女とその家族と共に、フィリピン ダバオ旅行に。無事ダバオに到着。ここからはレンタカーの移動になる。運転するのは私レンジ。カッコイイところを彼女に見せようと意気込むのだが。
【レンジブログ103】フィリピンでレンタカーを借りて運転してみる
クレイジーマニラの記事は、実際の旅行や取材を元に記述しています。小説風のストーリ仕立てで記述していますので、過去の記事を参照頂けると話の内容が理解しやすいかと思います。また、登場人物の名前等は仮名を用いているところがあります。
[レンジブログ第一章第一話]
【レンジブログ1】日本人経営者と私、フィリピンでの入国審査へ
[レンジ外伝第一章第一話]
【レンジブログ101】フィリピーナをフィリピン国内旅行に誘ってみた
【レンジブログ104】フィリピンで初ドライブ。ホテルにチェックイン
さて、気を取り直していこう。
「左手はウィンカー、ウィンカーは左手。」
それ以降、私はお経のように唱えていた。
幸いにも私が家族に与えた不安は軽度なもので、空港を出た後はスムーズな運転だった。
また、私は事前にGoogle Mapでダバオエリアのマップ情報をダウンロードしていた。そのナビゲーションに従い、目的のホテルを目指す。
空港北側の「ダバオ・ダイバージョン・ロード Davao Diversion Rd 」を西に進む。
この道はダバオの幹線道路のようだ。
なるほど。
確かに、マニラより交通量は少なく、ドライバー達の運転は大人しい印象だった。
しかしすぐに、ここはフィリピンであることを思い知らされる。
少し進んだだけでわかる、日本とは全く違う運転文化。常に恐怖を感じるドライブ。
フィリピンの道路では、微かにでも「先」に有る車が「優先」なのだ。
後ろの車は、前方の車が車線変更しようが、急停車しようが、忖度で譲らなければならない。混雑の有無は関係ない。
優先道路の概念もあったようなものではない。一時停止道路からの侵入も、先に車のフロント部分が道路に入った方が勝ち。
どの道路でも「先を進む車」が絶対なのだ。
[ダバオの主な道路はマニラ並の交通事情]
また、少しでも気を抜くと、道路中央に突然歩行者が現れたり、三車線の端から端まで斜めにゆっくり進むトライシクルが現れたりと、発生イベントは尽きない。
同国内、マニラ以外の土地でもやはりカオスな交通はあまり変わらなかったのだ。さっそく強烈なフィリピンの交通事情が歓迎してくれる。
「ダバオは運転しやすい。」
なんて、誰がネットに書いたのだっ!
しかし、落ち着け。これも想像の内だったはず。
私はダバオについて、その地理と道路マップを日本でしっかりと調べていた。
初めての土地でも不安なく運転出来るよう、ドライブコースを「グーグルアース」でしっかりと見ていたのだ。
旅行直前、日本のオスィスでは、
オノケン「レンジさん、来週ですよね、マルコ一家とのダバオ旅行。」
私「そう。だから、今必死に予習しているの。」
オノケン「へー、マメですね。ってか、運転は大丈夫なんですか?」
私「だから、大丈夫なように今勉強しているの!」
オノケン「勤務時間中に? むちゃくちゃですね。まー、レンジさんは無駄に器用だから大丈夫ですかね。無駄に。」
私「もー、今集中しているからさ!」
オノケン「旅行中、お願いしますよ。マルコのオッパイの写メを私に…」
私「こらっ!」
その後、二人の新作コントのような会話が仕上がるまで、ケンさんからのイジリは続いた。
安心しろ、ケンさん。
写真なら送る。
ビーチでの ” 母親 ” の水着姿なら送るから。
ケンさんの「いらないわ、こんなもの!」と怒る姿が思い浮かぶ。
がはは、仕返しだ。
しかし、リョウさんに送ると逆に死ぬほど喜ばれそうなので止めておこう。
このときダバオでは、私の日本でのシミュレーションが確実に役立ったようで、何処か見覚えのある風景のように感じた。
周りの忙しそうなドライバーとも阿吽の呼吸が通じ、交通の流れに乗ることができた。
そして、「マメイロード Mamay Rd 」を南下し、ダバオのメインストリートを目指す。
幸いにも渋滞がこのあたりから始まる。
今は車を走らせるより、片側一車線をゆっくりと進む方がありがたい。
次第に海が近づき、見覚えのある交差点に出た。
ここから「ローレル通り J.P. Laurel Ave 」だ。
これを右折すればダバオ市街中心部。確かこのすぐ右手に「SMモール」などもあるはずだ。
逆に交差点を左に曲がって行けば、我々の滞在先のホテルへ向かう。
今回のホテルは、「Red Knight Gardens Apartelle(レッド ナイト ガーデンズ アパーテル)」という、現地では高級住宅街に建つホテルだ。
中心部からは3kmほど離れている。
そして、ホテルのあるヴィレッジに到着。
中へ進入する際、門番が複数人いた。
その厳重な警備体制を見た家族は「おー、ここは良いところだね! 値段も高いんじゃない?」と会話していた。
私は門番に「IDを預かるから」と言われ、所持していた現地IDを渡した。その引き替えに、数字をラミネートされただけのカードを渡された。
おそらく、外出時には返却されるのだろう。
ホテル選択の考慮事項としてアクセス的なメリットよりも、「家族とともに滞在する」、「レンタカーがある」という前提のため、「安全なエリアである」という条件の方が優先度は高かった。
ホテルを決めたときには、我ながらこれ以上のチョイスはないと思える、ベストな判断だと思った。
それに、今ようやく確信が持て始めていた。
[ヴィレッジ内部はとても閑静。]
ヴィレッジに入ると、中は欧米の住宅街を彷彿とさせる雰囲気だった。
街路樹の代わりに「巨大なバナナの木」があるところはさすがダバオらしい。
えーっと、レッドナイトホテルはこの先かな。
そして、目的のホテルはすぐに見つかった。
[ホテル外観]
ホテルの駐車場を案内するようなガードマン、スタッフの姿はない。それらしい駐車スペースへ車を止める。
私「We arrived!(到着しましたっ!)」
私は運転席を降り、車右側の両ドアを女性陣のために開ける。
父親の目線を感じる。
したたかに私の行動を注視している気がした。
母親「Wow, nice hotel!(まあ、素敵なホテルね!)」
車を降りた母親は、さっそく息子と共に近くの散策に出かけようとする。
私は続けてトランクを開け、中の荷物を下ろす。
そして、私が「えーっと、受付カウンターはどこだろう…。」と探していると、父親の呼ぶ声が聞こえた。
そちらの方に受付フロントがあるようだった。
道を挟んで二つある建物。その片方の入り口付近に、スタッフが常駐するカウンターはあった。
[ホテル受付カウンター]
私「Check in, please.(チェックインお願いします。)」
私は女性スタッフにパスポートを見せる。そして、彼女が予約内容を確認している間、渡されたチェックインカードに必要事項を記入する。
また、チェックアウト時の保証金1,000ペソをスタッフに預ける。
父親はそのやり取りを見届けると、フロントの奥に見えるプールがある方へ、一人で歩いて行った。
私はスタッフの案内を受けながら、宿泊ルームへと誘導される。フロント向かいにある方の建物のようだった。
駐車場に面した通りに一度出て、マルコ達にその旨を伝える。
さすがに私一人では全てのスーツケースを運べないので、この時はスタッフやマルコの手を借りた。
部屋に入ると、中はタイル床の小綺麗なインテリアだった。
[部屋のインテリア]
入ってすぐにはリビングルーム、奥には広めのダイニングキッチンとバスルーム、二つのベッドルームとそれぞれにバスルーム。
三泊10,000ペソの値段で、この部屋構成。
初見の限り、想像以上に良い選択だったと感じた。
マルコ達も満足している様子。さっそくどの部屋を使うか母親と相談していた。
ホテルスタッフから宿泊について説明を受けていると、父親が部屋に入って来た。
そして、中を一通り見た後、彼はホテルスタッフに何かを指示していた。
おそらく『エキストラベッド』を一つ注文しているようだった。
私は、「はっ!」と気付き、彼に話しかける。
私「I’ll sleep on the sofa. So please use the two bedrooms for your family.(私はソファで寝ます。なので、二つのベッドルームはあなたの家族で使ってください。)」
私は父親のリアクションが怖く、もちろん娘のマルコに手を出すつもりはなかった。
この旅でそんな破廉恥なことを、家族と一緒の空間で出来るはずがない。
幼い弟もいる。
今回は我慢するのだ。4日間、座禅のごとく耐えるのだ。
私は本当にソファで十分だった。ベッドルームはマルコ達に使ってもらえれば良かった。むしろそうしてほしかった。
それぞれにダブルベットが用意されているので、家族四人が寝るには足りるだろう。
しかし、父親は私の手を掴む。
レンジさん、現地での運転、本当にご苦労様です
私は滞在歴と渡比歴が長いのでフィリピンローカルライセンスを持っていますが、
日本の運転マナーなど通用しない事を痛いほど知っています
又、過去に最長4年間ほど連続滞在後に日本で運転した時は、
自分自身の現地慣れした運転感覚と錯覚に苦労しました
両国では基本的な走行車線が左右逆なのに、帰国直後、私の地元の田舎道の運転で
逆車線を走行している自身に気が付いて、冷や汗を覚えた事がありました
その他、記事に関しての感想ですが、
ダバオ旅行での彼女側家族に対しての気使いは、仮に私でも全く同じ思考と行動をとっていますよ
大正解な行動だと感じます!
y2オヤジさん、コメントありがとうございます。
今でこそ慣れましたが、現地初運転は生きた心地がしませんでした。
今年もよろしくお願いします。