[ウメブログ 前回のあらすじ]
クレマニのホレ担当ウメ。現在50代後半。約30年前からフィリピンへ通う超ベテラン。
後輩の安川とフィリピーナの結婚のため、彼に同行し初めてのフィリピンへ向かう。
【ウメブログ2】初めてのフィリピン旅行、フィリピーナの家族に会う
※クレイジーマニラでは、オノケンブログ、レンジブログ、ポットブログの三つのブログがメインコンテンツでした。そして、この度新たに『ウメブログ』の新連載がスタートしました。
オノケンブログの第一話はこちらから
【オノケンブログ1】転落と後悔
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【レンジブログ1】日本人経営者と私、フィリピンでの入国審査へ
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【ポットブログ1】タイで起業!先輩の誘い、女を求めてフィリピンへ!
ウメブログの第一話はこちらから
【ウメブログ1】日本のフィリピンパブの過去、マニラへ向かうきっかけ
ウメブログは約30年前のストーリーから展開します。
前回で序章が終わり、これから第一章になります。
それでは、ウメブログ3(第一章第1話)をスタートさせていただきます。
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【ウメブログ3】30年前のフィリピン、マニラの夜遊びゴーゴーバー
ーー初渡比から約一か月が経過。
二度目のマニラへ。
この時は、計画時からワクワクが止まらなかった。
毎日、子どもの遠足前のように眠れぬ夜を過ごしていた。
そして、安川の日本帰国と入れ違うように、スケジュールを組んだ。
今度は一人旅。
満を持して10日間の休みを取った。
宿泊先ホテルはマラテエリアのダイヤモンドホテル。
(義理の親父が半蔵門のダイヤモンドホテル勤務だったことも理由)
ーーところが……。
出発の前夜、興奮のあまり寝付けず。
眠りについたのが朝方。
そして、目が覚めたのが、
搭乗開始予定時間の、
なんと、
1時間15分前。
[遠足気分で寝坊した小学生のようなオッサン]
うわー!
やってもーたである。
すぐに着替え、顔も洗わず車に飛び乗る。
京葉道路から東関道で成田までおよそ70km。
それはもうキャノンボールさながらと言いたいが、制限速度は守る。
イライラと焦りは募る。
くそおぉぉうっ!
この間に一体何本の髪の毛を失っただろうか。
ワクワクし過ぎてしまった。自分が悪いのだ。
しかし、絶対に乗り遅れる訳にはいかない。
ーーこの日は幸い日曜日。
そのおかげで道路が空いていており、何とか空港に到着。チェックインカウンターはまだ開いていた。
搭乗開始30分前だった。
(今ではウエブチェックインがあるので、たとえギリギリになってしまっても直接搭乗口に行ける。また、JALのサファイアカードがあれば、手荷物チェックなどもファーストクラス専用ゲートが使えるので、着いて10分も有れば搭乗口に到着できる。ブログを書きながら今更ながらその恩恵のありがたさを知る。しかし皆さん、搭乗には時間に余裕を持ってお願いします。と言いながら反省しております。)
ーーとりあえず搭乗口から機内へ。
自分の座席に座ると、ホッとしたのかすぐ眠くなった。
次に目覚めたのは、着陸の柔らかい衝撃。
エンジンブレーキからシートベルトに体重が乗り、到着したことを知った。
滑走路の向こうには、トタン屋根の住宅街が見えた。
さぁ、人生二回目のマニラだ。
ーー飛行機を降りると、ムンムンとした熱気と匂い。
ほんの一か月前のことだが、帰ってきたという実感が湧いてきた。
気分が高鳴る。
これからリアルドラクエの始まりだ。
[マニラ空港・入国審査を待つ列]
今回の旅は、私一人。
二度目のフィリピンとは言え、まだLV3程度。スライムにも集団で襲われたら死ぬレベルだ。
そして、何のヒントも無く、仲間もない。装備品も乏しい。
しかし伝家の宝刀、『地球の歩き方ーフィリピン編』がある。
これを熟読していた私は、タクシーの乗り方には自信があった。
入国審査を終え、まず聞き込みを開始。
最初の目的地、ダイヤモンドホテルを目指すため、とりあえずタクシー乗り場へ向かう。
すると、客引きの白タクの呼び込みがしつこい。
「シャチョサン、シャチョサン車すぐそこね」
と、ロボットのように繰り返し同じ言葉を掛けてくる。
また、多少強引にでも自分たちの配車サービスへ引き込もうとする輩も。
皆、お金を稼ぐことに必死なのだ。
人々はギラギラした目をしており、強いバイタリティが求められる国。
『フィリピンでは騙される方が悪い』
こちらもそのくらいの感覚でいないと危ないだろう。
ーーさらに乗り場に着くと長蛇の列。
これを待っていたら確実に1時間以上はかかりそうだ。
……いろいろ考えた結果、空港を出た所の大通りへ。
そこで流しのタクシーを拾おうと決めた。
空港内よりボッタクリが少ないだろうと考えたからだ。
ーー空港から10分も歩くと大通りに出た。
そこでタクシーを拾う。
さぁここで交渉。まずはメーターを倒すように……。
そう言おうとする前に、運転手自らメーターを倒した。
おっ、おう。良かった。値段交渉はしなくて済んだ。
すんなりとレベルアップの音が聞こえた。
[マニラタクシーの車内イメージ]
空港から30分。
無事にダイヤモンドホテルへ到着。
メーター料金はP200ほど。普通にボッタクリも無く乗れたようなので、追加で50ペソをチップとして渡した。
ドライバーはとても喜んでいた。
ちなみに、これは『地球の歩き方』を読み、事前に相場が解っていたからであって、
もし知らなかったら「P1,000だっ」と言われても、
『日本円で2千円位なら。空港からエルミタ・マラテまで20分~30分かかるからまぁ安いか』
と思ってしまうかもしれない。
ーーホテルのチェックインを済ませた後、部屋で煙草を吸いながら見たマニラ湾の夕焼けはとても大きく綺麗だった。
一服した後、外へ出る。
[ロハス通りから見た夕日]
朝から何も食べていない私は、街をぶらつき食べ物を物色する事にした。
そこで、今でも大好きで、渡比すると必ず食べるあるものと初対面をする。
皆さんもご存じのローカルフードであろう。
ダイヤモンドホテルの北側の交差点をマラテ方面に歩き200m位行った左側にそれはあった。
黄色い看板で鶏の丸焼きがグルグル回っている。
そう、Andok’sである。
丸焼き1匹。オリジナルジャンボ、
今も値段が同じ、P300でちょっとお釣りがくる。
[Andok’sの様子]
この時が初挑戦だったが、めちゃくちゃうまいっ!
また、Andok’sの隣にセブンイレブンがあり、テイクアウトでオリジナルジャンボを購入。
そして、セブンでサンミゲ・ピールセンを買い部屋に戻る。
窓辺にあるソファーに座り、夕陽を見ながら食べたAndok’sは格別だった。
そして、夜の作戦を考える。
ーーこの頃、マラテエリアにはそれほど夜遊びの店はなく、遊ぶところはエルミタがメインであった。
例えば、『LAカフェ』や『串まさ』が有る通りに、日本食屋や日本から帰ってきた女性が働いているスナックみたいな店が何軒かあった。
このスナックみたいなのがおそらくKTVの走りだったように思う。後にこのスナックにも通う事になるのだが……。
また、その付近にあった『将軍』と言う名の日本料理屋や、その先に在った『どさん子ラーメン』にはよくお世話になっていた。
女性の接客があるような遊びで言えば、ロハス通り沿いにゴーゴーバー、女性が在籍する置屋くらいのものだった。
[マニラのエルミタエリア]
基本的に、
『日本のフィリピンパブで出会った子と、彼女の帰省とともにマニラで遊ぶ』
のがメインであっただろう。
そのようなカップルがとても多く、あっちこっちでフィリピーナを連れた日本人を見たものだった。
ーー私の方は、とりあえずゴーゴーバーへ行く事にした。
ホテル前に泊まっているタクシーから情報を貰おうと話しかける。
何人かと話し、一人面白いドライバーを見つけた。
名をタイソンと言う。(マイク・タイソン似、小柄男性)
ーーちなみに彼は今後、私がフィリピンにいる間はずっとチャーターするドライバーとなる。
1日3,000ペソくらいだったと記憶しているが、雇うには理由があった。とにかく真面目な男だったのだ。
彼は、朝から晩までホテル前にいて、ホテルから出てくる私をずっと待っていた。ホテルから出てくる私を見つけると、手を振りながら駆け寄ってくる。
「今日は終わりだから帰っていいよ」と日当を渡すまでずっと待機していた。
本当に律儀で真面目な人物で、私はすぐに気に入った。
ーーこの時、タイソンに、周辺の主だったゴーゴーバーに行ってもらい何件か行ってみたが、今一盛り上がらずに帰る事とした。
ホテルのスカイラウンジで軽くお酒を呑む。
[ダイアモンドホテル バー]
ほろ酔いになったところで、涼みに海岸沿いへ再び出てみることにした。
雑踏とした、綺麗とは程遠い街並みへ。
私はこのギャップがとても好きだった。
豪華なホテルから、別世界へ。
まさに異次元の冒険へ出かけるような感覚だ。
ーーロハスを渡り、海岸沿いを歩く。
マニラ湾の堤防に腰かけ、海を眺めていると、ホームレス風の若い男が声をかけてきた。
「煙草をくれ」
と言う。
1本渡すと、「どこから来たんだ?」と世間話が始まった。
そして、彼が「面白いもの見せてやる」と言う。
面白いものだと?
私は興味を惹かれ、付いていくことにした。
……そこにはとんでもない ” やつら ” がいた。
[ウメブログ3終わり]
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次話、ウメブログ4「そんなところで〇〇するなよ ~ 私の危機 LV5の運命は!!」
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遠足気分、わかります!ヾ(≧▽≦)ノ
私は夜通し準備と称してパッキングしていたので、往く時は完徹で飛行機の中で寝てましたね。しばらく出張では(と言ってもすぐ駐在だったので2,3回)そんな感じでした。
フィリピンに初めて行った頃はマカティを拠点にしていたのでそちらのエリア👙はなかなか開拓できずでした。なので、とても興味津々に読ませてもらっています。
何だかマニラの熱気が伝わってきて楽しい気分になってきました。続きに期待大です!🤣
執筆、がんばってください!
Ackieさん
ありがとうございます。
初渡比は私と同じころでしょうか?
私は逆にエルミタ中心だったので、当時のマカティはそれほど詳しくはありません。
多分、リトル東京周辺には日本料理屋とかがあったと思うのですが、なんせエルミタの夜遊びにハマってしまったので^^;
これからも面白いものをお届けできるよう頑張ります。
これからもよろしくお願いします。
日本から4時間あまりのフライトでも少しストレスを感じている時、雲の隙間から赤茶褐色のトタン屋根が見えた瞬間、あー🤩もうすぐ到着するのだなー!無事着陸してくれよー!なんて思う景色が浮かんできました。なんだか臭いまで伝わってきそうです。久しぶりにシワシワのペソ臭ってみようかなー🤣
小虎さん
いつもありがとうございます。
そうですね、錆びたトタン屋根を上空から見ると帰ってきたーて気分になりますよね。
それとペソの匂い解ります。
なんか独特の匂いが有りますよね、インクの匂いなんですかね?
次回渡比用に帰りに少しペソを持ち帰るのですが私も匂いをたまに嗅いでましたw
ウメサン お疲れ様です♪
拝読していると 自分のマニラ初期の頃を思い出します。
足の方も 当時の宿泊ホテル前にたむろしていた白タクを何回か使用し 一番真面目に仕事をしてくれたドライバーを ずっと利用していました。
そのドライバーは 10年ほど前に他界してしまいましたが 今ではその息子にドライバーを依頼しています。
これからも色々思い出させて下さい。 楽しみにしています(*^^*)
ryokunさん
いつもありがとうございます。
ですよね、ホテル前に白タク、エントランスにホテルタクシー。
ホテルタクシーは安全だけど高かったので白タクの真面目な奴を使いましたよね。
これからも色々思い出しながら書きますのでよろしくお願いします。
ウメさんお疲れ様でした!30年前のスマホどころかネットの普及すらないマニラの冒険本当に痺れます!
アンドックス食べたい!
モリソンさん
コメントありがとうございます。
そうですね、当時は連絡の取り方が家の電話だけだったので、タクシードライバーと連絡を取るときはタクシー会社に電話して伝言を頼みました。
ジミーには何度か空港に迎えに来てもらいましたが、来るか来ないかが分からない事が多く空港の白タクの客引きも面倒なのでホテルの送迎付きの予約を取る事が増えました。
この辺の話も今後書きますのでこれからもよろしくお願いします。
ウメさん、お疲れ様です。
なるほど、当時はマラテ・エルミタもそんな感じだったんですね。
Andok’s等、食事関係の話も興味深いです。
現地初心者にとってドライバーは重要でしたね。
Taxiは、ぼったくりだけでなく、車自体が床に穴!が空いてたり
エアコンが効かなかったりのボロ車が現役でビックリしました。
明日のウメさんもどうなるのか・・・楽しみにしています。
G1Rさん
いつもありがとうございます。
おしゃる通り当時のタクシーはぼろかったですね。
まだ右ハンドル車の日本からの輸入もOKだったので、とてつもなく古いカローラとかが走っていましたね。
このAndok’s 今でもマラテ教会横に在ります。
これからもよろしくお願いします。
私の知らない30年前のフィリピン、とても興味深く読まさせて頂きました。
今後も楽しみにしています。
Ninaさん
コメントありがとうございます。
今後の展開で色々な当時の背景を書いていきますので楽しんでいただけたら幸いです。
これからもよろしくお願いします。
素晴らしい!
この頃の私は不真面目な学生で授業も出ず、「深夜特急」に憧れて、バイトしてはアジア各国に行ってたのですが、二十代の頃の東南アジアの臭いがとても懐かしく、素晴らしいです。
ノスタルジー感じます(笑)
東南あじあさん
いつもありがとうございます。
なんか読者さんの当時の背景が懐かしいと言うコメントを頂いていますので、今後はその辺を女遊びと絡めながら詳しく書いていこうと思います。
これからもよろしくお願いします。
ウメさん、おはようございます😉
昨日のブログ、私の遅刻寸前のルートと全く同じ事が判明しました😁
フィリピン経験値、年齢も近いと思われますので、非常に親近感が湧きます。
今後の展開も期待してます❗
ターシャさん
おはようございます。
同世代で共感できる方からのコメントとてもうれしいです。
また当時を知らない人たちにこのコメントを通して教えていただければと思います。
私も記憶を辿りながらの執筆で思い違いをしている事もあるので指摘してもらえると嬉しいです。
最近でこそ電車で行く事が増えたのですが(行き成田帰り羽田が多いので)成田空港内のパーキングも安くなって使いやすくなりましたよね。
これからもよろしくお願いします。
ウメさんおはようございます。
自分はまだボッタくりにあったことがありません。
タクシーは300p~500pで済んでいます。
次話面白いものみれるの楽しみにしています。
toshidesuさん
いつもありがとうございます。
そーですかぼったくりに会っていないと言うのはtoshidesuさんがしっかりと事前交渉かメーターを倒すように指示しているからではありませんか?
たまにとてつもなく早く回るメーターが存在します。
それに気づかずに乗っていて空港からブルゴス近辺に着いたときに800pと言われた時が有りました。
後の祭りかとも思ったのですがエアポートタクシーだった為乗車の際に貰った紙を持っていたので、腹が立っていたのもありその紙を見せて通報すると言ったら幾らなら払うと言ってきたので350pと言ったところその金額で納得した事が有りました。多分エアポートかタクシー会社に通報が入ると最近はうるさいのかもしれません。
今後もよろしくお願いします。
ウメさん
おはようございます
昨夜はラジオの連投、お疲れ様でした。
楽しく拝聴しました。
起きたのが1時間15分前て!!
それでも諦めずに滑り込むとは・・・
恐れ入りました。。
正にマニラ空港に着陸すると「帰ってきたぞ!」ですね。。ふふふ
当時はどさん子なんてあったのですか?
信頼できるタクシー運ちゃんは勉強になります。
次回ブログも楽しみです!
鳩麦茶さん
いつもありがとうございます。
昨夜のラジオは音割れや聞えない事が多かったようなので今晩も再度テストを行います。
よろしければお立ち寄りください。
どさん子ラーメン有りました。丁度日本がコメ不足になってスーパーでコメが買えない騒動が有った時、私はフィリピンに居まして、そこでどさん子ラーメンで日本米でご飯を提供してて日本にないのに何でフィリピン有るのって店の店長に聞いた思い出が有ります。
今後も引き続きお付き合いください。
はじめまして
UMEさんより少し年上の年代なので30年位前のフィリピンを思い出し
懐かしく読ませて頂いております。
あの頃は確かペソも1万円で1500ペソ位だったと思います。
最近は年一位のペースですがまだ辞められません。
これからも楽しく読まさして頂きたいと思っています。
MASAさん
こんばんわ。
少し先輩ですか、では日本のフィリピンパブにハマって渡比のパターンでしょうか?
まだ行っておられるのですね^^
私もまだまだ現役です。
これからも面白いものを書きますのでよろしくお願いします。