[ウメブログ 前回のあらすじ]
クレマニのホレ担当ウメ。現在50代後半。約30年前からフィリピンへ通う超ベテラン。
エルミタのロビンソンモールは当時からナンパスポット。まず声を掛けた女性に激キレされ、また、イミテーションのオッパイに気付かず!?
【ウメブログ6】フィリピーナ女子大生ナンパ大作戦!マニラのモールにて
※クレイジーマニラでは、オノケンブログ、レンジブログ、ポットブログの三つのブログがメインコンテンツでした。そして、この度新たに『ウメブログ』の新連載がスタートしました。
オノケンブログの第一話はこちらから
【オノケンブログ1】転落と後悔
レンジブログの第一話はこちらから
【レンジブログ1】日本人経営者と私、フィリピンでの入国審査へ
ポットブログの第一話はこちらから
【ポットブログ1】タイで起業!先輩の誘い、女を求めてフィリピンへ!
ウメブログの第一話はこちらから
【ウメブログ1】日本のフィリピンパブの過去、マニラへ向かうきっかけ
ウメブログは約30年前のストーリーから展開しています。
ロビンソンモールで『相手』を探す女性たちの姿は当時からあったようです。
以前は外側に喫煙スペースがありましたが、その付近にも多くのナンパ待ち女性がいました。
女性との出会いはいつも気をつけたいところ。
そして、話は一度日本のフィリピンパブに戻ります。
それでは、ウメブログ7(第一章第5話)をスタートさせていただきます。
【読者の方へお願い】
これからウメブログをお読みいただく前に、以下の「ブログ村ランキングバナー」の応援クリックをお願いします!
(ブログ村にジャンプするだけです。その後はまたこちらに戻ってきてください!)
皆さんの応援で成り立っているクレマニ。本当にありがとうございます!!
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします!!
【ウメブログ7】フィリピン彼女と同棲!妻にバレて離婚危機!?
ーー今回は、私の長い長いフィリピン人生の始まりをお話ししようと思う。
私は現在五十代後半であるが、それは二十代後半の頃。
友人から「フィリピンパブに飲みに行こう」と誘われたのが始まりだった。
家から徒歩15分位の所にあるフィリピンパブへ。
[フィリピンパブイメージ]
それまでの私は、日本人のキャバクラやクラブなどは行ったことはあったが、『フィリピンパブ』というものは初めてだった。
店に入った感想は、
『南国ムード満載』
今まで経験した事の無い異様な雰囲気だった。
そして、小柄で美しく、若々しいフィリピーナ女性たち。
私は隣に付いた女の子に、さっそく目を奪われた。
物静かでほとんど日本語が話せない女性。
しかし、その子にほぼ一目惚れしてしまった。
彼女の名前はマリア。
歳は18歳で、初めての日本。そして、もうすぐ滞在一か月になると。
私は、本当にハマってしまった。
見事なまでにハマってしまった。
完全に恋に落ちてしまったのだ。
ーー当時、私のように『初フィリピンパブでいきなりハマる』という方々、かなり多かったのだろうと思う。
日本の夜のお店には無い独特の甘い匂い。
そして、男心を擽る仕草や可愛らしさ。愛嬌溢れる言動や優しさ。
当時、20代の私でもメロメロにされた。
家庭で蔑ろにされていた50代、60代のオッサン達が狂うのはもはや当然だったのではないだろうか。
フィリピーナ達は、祖父、祖母など大家族の中で育っているので、高齢者にもとても優しい。
年齢差が有っても、相手に愛情が持てる正に天使のような存在。
現代、雇用が難しい介護職もフィリピーナが活躍している話を聞くと、彼女達の献身さと優しさを想像し、感謝する。
ーーそして当然のごとく、その日からほぼ毎日お店に通い始めた。
マリアに会うために。
それまでの私は、呑み屋の料金が高いのは、
『口説いて、試合開催費用まで含まれているからだ』と理解していた。
16歳からカラオケスナックに通っていた私は、まさか初めてのフィリピンパブでいきなりハマるとは思ってもみなかった。
片言の英語とタガログ語を教えてもらいながらの会話、なぜあんなに楽しかったんだろう。
フィリピーナが使う香水が充満している店、なんて落ち着くんだろう。
(当時、弊社のスタッフや私の長男は、フィリピンパブに行くといつもハンカチに香水を付けてもらい、仕事の休憩時間にその匂いを嗅んで「はぁー落ち着く」って言っていた。)

ーーまた当時は、フィリピンパブの他、コリアンパブもメジャーだった。金髪女性(ロシアやルーマニア)の店も増えていた。
しかし、フィリピンパブのようにすごい勢いで店舗数を増やした外国人パブは、他に無かったのでは無いだろうか。
ーーさて、マリアにハマって、彼女をアパートに迎えに行って連れ出すのに二週間ほど掛かった。
初めてで日本人に騙されると思って警戒していたのだと思う、現に私は妻帯者であったし。
初試合まで1か月掛った。
しかも、彼女は初スタメンだった。
本当にあっという間の1か月。最高に幸せな恋愛を楽しんだと思う。
そして、この頃の私のフィリピンパブへのハマり方が尋常じゃないと言うのは、妻も気が付いていたのだろう……。
ーーマリアは、半年のタレント生活を終えて帰国の時期。
しかし、彼女は私にだけ「フィリピンには帰らない」っと言っていた。
「どういう事?」と聞くと、
「フィリピンには帰らずに1か月帰ったふりをして、再来月からまた来たふりをしてここで働く」
との事。
この頃は、不法滞在は当たり前だった。
そしてマリアのサヨナラデーが終わった翌日、
彼女から「今、佐野にいるの」と連絡があった。
『佐野? ずいぶん遠いな……』
私は栃木県の佐野市を想像した。
しかし、「東京の佐野」と言う。
東京の?
詳しい住所を聞くと足立区に佐野と言う地名があるらしい。
そこは知り合いのフィリピーナの家で、その子は今フィリピンに帰っているので貸してもらっているとのこと。
ワンルームの2階建てのコーポ。
私は、そこに入り浸ることになるのだが……。
本当に本当に恐ろしい事が……。
今でもあの時の事が走馬灯の様に……。
恐ろしい。
ーーそれは、ある日の夜のこと。
私とマリアは二人で彼女の家に居た。
ドアのチャイムが鳴った。
マリアが覗き穴から見て、
「知らない女の人がいる」と言う。
私も覗いてみる。
……ぶふぁあっ!!
よよよ、嫁だ!!
なぜ?
なぜなんだ??
なんで嫁がいる??
何が何だか判らず、思考能力が完全にショートした。
この当時のCPUはWindows3.0が辛うじて動くレベル、主なメディアはフロッピーディスクだ。
ガチャガチャと動作するが、思考はフリーズする。
嫁がドアを叩いてきた。
ドンドン、ドンドンドン!
「このゲス野郎、開けなさいよ、居るのは判っているんだから!!」
バレている。
ヤバ過ぎる。
怖すぎる。
どーする……。
とりあえず逃げる!
踏み込まれる前に逃げる!
何としても逃げる!
幸いここは1階、ベランダから逃げれる。
だがベランダを囲むように垣根がある。
高さ1,8m位、飛び越えるのは不可能だ。
ノックの音と外の叫び声は大きくなっていく。
考えている時間は無い。
垣根を中央突破、ラクビーのタックルさながらに突っ込む。
バキバキバキ!
枝が折れて歩道に転がる。
体中に激痛が走る。
しかし、ここで逃げるのを諦める訳にはいかない。
覗き穴を覗いてから既に2~3分。
コーポの裏手に止めてある車まで50mの距離。
『速攻で車で逃げ戻り、何食わぬ顔で家にいる』という作戦を考えていた。
痛い体に鞭を打って走った。ただ全速で走った。
そして辺りを見回しながら車へ。周囲に嫁の姿はない。
よっし。
ほっとして車内に乗り込む。
……だが殺気を感じた。
暗い車内、何かがいる。
隣で光っている。
……眼光だ。
嫁だった。
「このゲス&△”〇#らどぅわっ!!」
助手席の彼女は聞き取れないような奇声を発した。
ちーん。
確かに鳴った。仏壇前で鳴らす音を聞いた気がした。
詰んだ。
嫁は車の合鍵を持ち、私を待ち伏せしていたのだ。
『合鍵まで……』
今回の闇討ち、用意周到な潜入だったようだ。
映画『ミザリー』を思い出した。これは間違いなく命の危機だ。
なんて言おう。なんてごまかそうか。
車の中は、終始無言だった。
彼女は泣くでも無く、怒るでもなく。
ただただ家までの15分が長い。とてつもなく長く感じた。
ーー家に着いた私は眠くもないのにひたすら寝たふりをした。
しかし、朝起きると、血だらけのシーツを見て驚く。
なんだなんだ!?
刺されたのか俺!?
どこだ、どこが痛い!?
体中をまさぐり、顔面から出血している事に気づいた。
恐る恐る鏡を見ると……、
昨夜、垣根を中央突破した際に、顔面のいたる所を切っていたのである。
本当に嫁に刺されたのかと思った。
ーーこの日以降、本当に刺されるのではないかと恐れ、就寝する際には包丁を隠し持って寝るようになった。
いざとなったら、刺し違えるかもしれない。自分が招いた事態だが、常に不安を覚えていた。
嫁は少し鬱になっていた。帰宅すると彼女は暗闇の部屋にポツンと座っている。
申し訳ないが、怖い、怖すぎる。
それにしても、未だに解らないのがどうやってマリアの居るコーポの住所を入手したのか。
友人知人をフィリピンパブに連れて行ったことも無いし、マリアに会わせた事も無いのに。
おそらく嫁は、私に今までと何か違うものを感じていたのだと思う。
そして私を尾行して、マリアとの同棲場所を突き止めたのだろう。
ーーその後マリアは、初来日の店に戻り半年。
伊豆修善寺に半年。
山梨の石和温泉に半年。
私はマリアのことが本当に好きだった。
嫁と別れて結婚するか本気で悩み、悩み抜いた。
この時、私たちの間には子どもが3人いた。
三男坊はこの時5~6歳、可愛い盛りである。
悩みに悩み、子どものことを考えるとどうしても離婚は出来なかった。
結局、マリアと別れる事に。
彼女とは結局二年間付き合う事になるのだが、その間彼女はずっとオーバーステイしていた。
私がフィリピンを訪れるのはこのもう少し先の事となる。
[ウメブログ7終わり]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次話、ウメブログ8「安川外伝 その1」


「ウメブログ今後も楽しみ!」と言う方、応援クリックお願いいたします! 次回、安川さんの伝説も凄い!? 乞うご期待!!
ウメさんのツイッター(梅ちんさん@crazy_umechin)も是非チェックしてください!
なお、ウメさんの『梅ラジオ』は、現役KTVフィリピーナが参加しており、連日めちゃくちゃ盛り上がっています。
ぜひチェックしてみてください!
現在、私レンジの方は不定期でラジオをしております。
23:00頃~
ツイッター@RangeAbe のアカウントで、テスト放送しております。
平日は、このウメブログの編集あとがきを話します。
[ライブアプリ『ペリスコープ』でレンジをフォロー]

ピンパブ物語、最高ですね。
そうやってハマって崖を転げ落ちていく人が多いんですね。でも、ウメさんはあと1歩のところで踏みとどまりましたね。なんともスレスレの処を綱渡りしているようでドキドキが他人事ながら止まりません。
実は私はピンパブにハマったことがないんですよ。多分、それは現地を先に知ることになったからかもしれません。ピンパブに行ったのはフィリピンから帰ってきてからでしたから、何だか懐かしいやらでハマる感じではなかったんですよね( ̄▽ ̄;)
現地の方が、いろんな意味でより刺激が強かったですからね(遊ぶところにもよりますけどw)。いつか赴任前後のドタバタ劇をお話ししますねw
それにしても、奥さんの執念はすごいですね。見つけられちゃうものなんですね。恐ろしい~😫 レンジさんみたいに自分からトラブルに飛び込んでいくなら兎も角wそうじゃないのにというアタリが途轍もなく凄すぎます。
あまり無茶しないようにお気をつけて~😆
Ackieさん
いつもありがとうございます。
いやいや完璧に踏み外してますw
✕4ですからwww
いいですね、そのドタバタ劇はクレマニのトピでよろしくお願いします。^^
今になって思えば嫁には女がらみでは大変にご迷惑をかけたと思います。
怖いですよ、家に帰ると和室で電気もつけずに座っているんですよ;;
その後、携帯が出始めた頃あまりにも怖いので別居するんですよ。
でも別居の条件に新しく借りた部屋に女を連れ込まないってのがありまして、日曜日にその部屋で音楽を掛けながらついうとうとと昼寝をしてしまいまして、目を覚ますと15分くらい前に嫁から携帯に着信があり何かヤバイって感じたんです。
電話に出ない事を疑っているのではと思い、車を駐車場から出して隠し、物陰から隠れてみていたら15分もしないうちにアパートに踏み込んで来た事が在りました。
そのような行動をさせてしまったのは私のせいなのですが、とても怖かったです。
これからも応援お願いいたします。
返事
さすがですね!
経験値が違います。
今ではどんな魔法が使えるくらいになっているんでしょうか?
おっ次回!
安川さん、結婚した人ですよね?
幸せに過ごしてるんでしょうか?
楽しみです!!
toshidesuさん
いつもありがとうございます。
安川、今日のラジオに出てくれて当時の嫁の様子を語ってくれましたw
呑んで帰ると、財布から女の子の名刺を抜かれその名刺を灰皿の中で細かくちぎり山の様にして最後に火をつけてたそうです。
安川夫婦は今も3人の子供成人してtoshidesuさん
いつもありがとうございます。
安川、今日のラジオに出てくれて当時の嫁の様子を語ってくれましたw
呑んで帰ると、財布から女の子の名刺を抜かれその名刺を灰皿の中で細かくちぎり山の様にして最後に火をつけてたそうです。
安川夫婦は今も3人の子供成人して仲良くやっています。
これからもよろしくお願いします。
お疲れ様です。
今回のブログは中身が濃すぎて放心状態です。。
まさかドアの向こうに奥様が!!心中察します。
しかも無言の車内・・・
包丁と共に眠るて、、、
ウメさんの過去はドラマのようです。
半沢はだしですよ。
我がド田舎地域では当時は多くのフィリピン嬢は2冊のパスポートを使って6ヶ月で一旦帰国し、1か月開いて直ぐに日本に来てましたね。普通は帰国すると6カ月はビザが出ないとか、、、
鳩麦茶さん
いつもありがとうございます。
いやいやドラマなんて格好の良いものではありません。
ただ単にダメ人間なだけです、この前ラジオで少し話したピーナに子供が出来た時の事とかマジダメ人間です、治りません^^;
そうですね、あの頃は偽装パスポート持っていましたねタレントは。
まだその頃のフィリピンでは戸籍の保存とかが紙ベースだった為、結構簡単に2枚目のパスポートが取れたようです。
これからもよろしくお願いします。
フィリピンパブにハマる方はいますね。同じ会社のご老体が、フィリピン旅行の後にフィリピンパブに連れて行かれ、ドハマりしました。奥さんが亡くなり、夜遊び知らずの方がフィリピンパブにハマるのは目に見えていました。警告をしたのですが、聞いてもらえず、2年のフィリピンパブ遊びに合計4千万近く使い、残金が1千万近くになりようやく目が覚めたようで、遊びを止めました。金が無ければ少ない金額で勉強できましたが、お金がある事により麻痺していたみたいです。4千万近く使って試合ができたのは1回だけだそうです。昔ならいざ知らず、4年ほど前の話です。同じハマるなら現地でハマりたいですね。
Maniiaさん
いつもありがとうございます。
そうですね、年を取ってからハマると尻の毛まで毟られる人が多いですよね。
フィリピン(現地、日本も含め)にハマるのってある種の中毒だと思います。
今日は絶対に行かないって決めていても営業時間が近付くにつれそわそわして、結局行ってしまうと言う。
なので近年はファーストタイマーは連れて行きません。
ハマっても責任が取れないのでw
今後も引き続きよろしくお願いいたします。
まるでホラー映画のようでした。
私も今日からフィリピンパブ通いを週5から週4にします・・・。
あ~~怖!!
怨霊さん
いつもありがとうございます。
wwww、5回から4回って十分ハマってます。
本当にホラーですよ、でも私がそこまで追い詰めたのだと反省はしています。
でも治りません^^;
これからもホラーを書きますのでよろしくお願いします。
Ackieさん
いつもありがとうございます。
いやいや完璧に踏み外してますw
✕4ですからwww
いいですね、そのドタバタ劇はクレマニのトピでよろしくお願いします。^^
今になって思えば嫁には女がらみでは大変にご迷惑をかけたと思います。
怖いですよ、家に帰ると和室で電気もつけずに座っているんですよ;;
その後、携帯が出始めた頃あまりにも怖いので別居するんですよ。
でも別居の条件に新しく借りた部屋に女を連れ込まないってのがありまして、日曜日にその部屋で音楽を掛けながらついうとうとと昼寝をしてしまいまして、目を覚ますと15分くらい前に嫁から携帯に着信があり何かヤバイって感じたんです。
電話に出ない事を疑っているのではと思い、車を駐車場から出して隠し、物陰から隠れてみていたら15分もしないうちにアパートに踏み込んで来た事が在りました。
そのような行動をさせてしまったのは私のせいなのですが、とても怖かったです。
これからも応援お願いいたします。
ご存命のこと おめでとうございます♪
PPパブは 他の夜の街にはない雰囲気ですものね(*^^*) 嵌まる方々の気持ち とっても分かります。また知人には 借金までにはいたりませんでしたが 貯金など使い果たした者が何人かおります。
自分の場合は PPパブより先にカジノ他の為マニラへ行って遊んでいましたので 日本ではあまり嵌まらずにすみました(((^_^;)
その代わり カジノには嵌まりましたが・・(T-T)
当時 まだ未婚だったので出来たことと思いますが。
現在は 大分縮小して遊ばせて頂いております。
これからも 長く遊んでいきたいと思う今日この頃です(*´-`)
ryokunさん
こんばんわ^^
本当にハマってお金を使い果たした人が多いですよね^^;
でもそれもフィリピン人助けだと思えばw
フイリピン人が海外で働いてフィリピンに送金する額が年間で約2兆円。
銀行とかを経由しないお金もあるのでそのお金も含めるとフィリピンのGDPの20%を超えるそうです。
なのでハマって落とすお金がフィリピンを豊かにしますw
私もこれからまたハマらないように気を付けると共にハマったとしたらフィリピンのGDPを上げているのだと自負して邁進してまいります。
ラジオ共々よろしくお願いします。
奥さんの事考えると笑うに笑えない。
小虎さん
いつもありがとうございます。
そーなんです。
このあとも嫁に対して結構ゲスっぷりを発揮するのですが、嫁もパチンコにハマり家の金を多額に使い込むので引き分けにしてもらいました。
結局、三男坊が20歳になるのを待って円満離婚にたどり着きました^^;
今でも1年に1回くらいは一緒にご飯を食べ近況報告をしています。
これからもよろしくお願いします。
umeさん 初めまして、今日、1話から一気に拝見しました。大学生だった私が従兄弟に連れられて、初めてフィリピンクラブに行ったのが1990年なので、非常に共感しております。
これからも楽しみにしてます。
みみをさん
こんばんわ。
チョコっと年が私の方が食ってますが、ほぼ同じころにフィリンピンパブに行き始めたみたいですね。
みちをさんはフィリピンに行った事が有りますか?
当時の日本のフィリンピンパブの話がまだこれから続きますので読んでもらえたらと思います。
これからもよろしくお願いします。
投稿お疲れ様です。楽しく拝読させていただきました。
私はUmeさんより数年下ですが、当時のPPにドハマりしました。20代のお客は珍しかったのか若いって
だけでババエから人気があったような気がしますwww
そうなんです笑 もう、しばらくPPは行かないって思っても辺りが暗くなってネオンを見ると足が勝手にPPに向かってましたね。あの当時のPPは楽しかったな~~
明日以降の投稿を楽しみにしています。
ボンボンさん
コメントありがとうございます。
同胞ですねw
本当にPP中毒になりました^^;
そうですね、私がハマったのが20代後半から30代前半かけてですが、確かに廻りが爺様ばかりだったからもてたような気がします。
今でも日本に当時のPPのような店が関東ローカルにあります。
その店はタレントがメインの店で昭和の匂いがします。
去年昭和の匂いが懐かしくてハマってましたwww
当時の話でノスタルジックなれるよう執筆していきますので今後もよろしくお願いします。
ウメさん、筋金入りの中毒者だったのですね。
駐在時代、仲の良かった日本でのタレント経験があるピーナが、複数の日本人から毎月計20万程送金されていました。
自宅に遊びに行ったら、ビレッジの中の一軒家で、.駐車場には新しいSUVが止まっていました。
やっぱり、はまっている日本人が居るんだ思った事があります。
ちなみにその子には、フィリピン人の旦那がいました。
Ninaさん
いつもありがとうございます。
なるほど、そのピーナには日本に送金者が4~5人は居たんでしょうね。
大体当時送金してた人に聞くと4~5万程度送金していた人が多いみたいです。
当時私は、日本のPPで働いていた人には送金していませんでした。
今週・来週で紹介するブログで出てくるフィリピンで知り合ったババエに送金してました^^;
それなりの数のピーナとお付き合いしましたが今までで2人だけですね、身持ちも嘘も無く本当に信用できたフィリピーナは。